おはようございます
 
吉田です
 
 
 
原爆の犠牲となられた多くの慰霊の安らかならんことをお祈りするとともに、被爆者や被爆者体験者のご健康を願い慰霊の言葉とさせていただきます。
 
 
 
本日8月9日は長崎にプルトニウム型原子爆弾が投下されて75年目となります。
 
 
1945年8月9日午前11時02分、松山町171番地(テニスコート)の上空約503±10mで原子爆弾が炸裂。1万分の1秒で火球直径30m、中心温度は推定で摂氏30万度。1秒後には火球直径100〜280m、直下の地上温度・摂氏約3〜4千度に達したといわれ、最大風速は爆心地から1kmの範囲内で秒速440m〜160m。キノコ雲は14000m上空までに至ったと伝えられています。
 
 
死者73884人、負傷者74909人
※長崎市原爆資料保存協会調査による
 
 
戦闘員・非戦闘員の区別なく一瞬にして数十万、数百万人の生命を奪う大量殺戮兵器が二度と使われることが無いことを切に願い本日のブログといたしますm(__)m