番外編 ガダルカナル記3


北朝鮮の不安で下がったと思いきや

持ち直してきている日経平均です。

いつも相場の話ですが、本日は気分転換に

番外編「ガダルカナル記3」を

お伝えします。


「ガダルカナルに上陸し、飛行場を奪還せよ」

も命令が一木支隊に下る。

一木支隊とは2500人を擁する

陸軍の精鋭部隊のひとつである

一木支隊この時、グアムに内地点属のため控えていた。

「???ガダルカナル? どこだそりゃ?」

兵士の中でガダルカナルを知っているものはいなかった。


8月18日ガダルカナル ダイブ岬に一木支隊は上陸した。
(このころは制海権と制空権はガダルカナル沖・ソロモン海はまだ
イーブン状態)

日本軍の船の移動は過酷を極めた、

ぎゅうぎゅう詰めの船内に何日も揺られ揺られ

普通の人間なら2,3日で参ってしまう。

しかし、一木支隊の兵士は指揮が高かった

上陸してから、すぐ飛行場奪還のための行軍開始。

飛行場奪還に士気は高揚した。

今でこそ、アメリカは世界を覇権を握る国ではあるが

戦前アメリカの軍事力の評価は低かった

日本軍はアメリカ軍に対する説明書を配布している

「アメリカ兵は支那兵よりも臆病で、日本軍が攻めたらすぐに逃げ出す兵隊である」

敵を過小評価しすぎていた。

しかも一木支隊が聞かされていたガダルカナルの兵数は2000人程度(実際には11000人いた)

一木支隊は2300名程いたが、先遣隊で到着した900名が、

我々だけで奪還すると作戦行動を開始した。

一木大佐は兵を飛行場東側のイル川東岸に到着

攻撃態勢を取る。

このときアメリカ軍はイル側西側に陣地を作り、日本軍の来襲に備えていた。

日本軍は敵に比べ兵器は圧倒的に劣っていた。


8月21日午前1:30分先端が開かれた

海兵隊陣地に100名が突撃した。日本軍は悟られまいとぎりぎりまで発砲は禁止

しかし、アメリカ軍に察知されていたため

猛烈な迫撃砲と機銃の猛烈な射撃の前に100名の犠牲が出た。

しかし中にはアメリカ軍の陣地に突撃し、白兵戦をし、機銃などを奪還した兵士もいた。

2:30分イル川渡河し突撃を試みるが、200名ほどの犠牲

しかし一木大佐は尚攻撃続行、イル川北川海辺の浜からの攻撃を試みるが

アメリカ軍に察知され、機銃掃射を受ける。1-2時間の間打ち合いが行われるが

兵器の差で一木支隊は甚大な損害を出す。

ほぼこれで隊は壊滅状態だが、日本兵は撤退はしない

イル川に留まっていた一木支隊残存兵に対し

アメリカ軍は包囲殲滅戦を仕掛けた。

火炎放射器で容赦なく攻撃、せん滅。

ケガや動けない兵士を

戦車で引き潰した。

一木支隊奮戦するも全滅・・。

「日本陸軍初の大敗北を喫した」

ここからガダルカナル島をめぐる戦いは凄惨を極めていく。

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ガダルカナル島にはイル川付近に

一木支隊の英霊を祭る慰霊碑が立っています。


そこには海で生活をする人々の小さな村があり

何家族かが暮らしています。

遺骨や遺品の発掘にも協力してくれており

私が行ったときにも、

最近見つかったと・・

収集された袋の中に

元日本兵の「骨のかけらと歯」がありました。

まだ日本兵の遺骨はたくさんガダルカナルにあるのです・・。


慰霊碑に拝礼をし、海に向かい供養をしました。

なんとも言えない感情がこみ上げてきました。

ガダルカナルで感じたことは本当に言葉にするのが難しいのです・・。

ゴミをかたずけて、海をきれいにする

という考え方はガダルカナルにはまだありません

ガダルカナルの海は村人のごみやカンカンなどがたくさん浮いており

美しいとは言えないのです。


しかし、村の中に一つとてもきれいな場所がありました

それは一木支隊の慰霊碑です。

一木支隊の慰霊碑だけは

村人が大切に扱ってくれ、とてもきれいな状態だったのです。

小さな子どもがたくさんいる村でしたが

親から子、子から孫へと、慰霊碑を大切にしてくれる

それを伝えてくれていました。


・・・・次回へ続く