番外編 ガダルカナル記2


日経平均下がったところで膠着でしょうか


来週の始まりの動きには要注意です。

どちらに行くかで、9月の方向性が決まりそうな気配もします。


いつも相場の話ですが、本日は気分転換に

番外編「ガダルカナル記2」を

お伝えします。


1942年(昭和17年)6月5日 魔の7時23分

ミッドウェーで日本海軍主力攻撃型空母がアメリカ艦爆隊から

急降下爆撃を受けた・・。

日本の歴史が大きく変わる転機となった時刻である。

日本はこれまで支配してきた制空権を失った。

制空権を失うということは制海権を失うということである。


日本軍は制海権を失いつづけながら


無謀な作戦を続けていく・・。


オーストラリアの北東にソロモン諸島のガダルカナル島がある。


日本軍は豪州と米国の連携を遮断すべく、ガダルカナル島に飛行場を建設した。


工兵部隊が主で、飛行場を建設したが、完成したのが8月

それまで誰もが、ガダルカナル島など重要拠点と考えていなかった。


しかし8月7日午前7時強烈な艦砲射撃とともにアメリカ海兵団1万の主力が

上陸する。


工兵隊が主の日本軍はジャングルへ撤退、ここから太平洋戦争最大の転機

ガダルカナル島の戦いが始まる。


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わたしがガダルカナル島へ行ったのは

全国ソロモン会という戦友会の団体の慰霊巡拝ツアーでした。

もちろんこれまで、ソロモン会という団体は知らなかったですし、

遺骨収集などを行う民間団体も具体的には知りませんでした。

しかし、今回なんのご縁か、大叔父のことを調べていたら

名古屋の228連隊の遺族会の方から封書にてご連絡いただき

8月5日から8月10日

3泊5日の慰霊巡拝ツアーがあり、それにできることになったのです。

あの激戦地のガダルカナル島に

行くなんてことは全く考えたこともなかったのですが


まさか自分でも驚きでしたが、今回参加することになりました。


ガダルカナル島では

8月7日上陸同時刻に米国大使館主催の慰霊会があり、それにも日本側として

参加しました。

アメリカ海兵隊、海軍将校、空軍。オーストラリア海軍、空軍のトップが

参加し、会場の前には敬礼した海軍が列を作っていました。

約60名の軍人がおり、参加者は200名ほどの参加者がおり、

会の冒頭には基地からジェット機を飛ばして低空で会場を横切りました。(ボ―――ンッ)


式典は立派のものでした。

75年もたっておりますので、米国日本わだかまりはなく、お互いを尊重するコメントや

交流、そして戦争で亡くなった方はアメリカ、日本とも

両国の軍人に対しどちらも敬意を表していました。


午後から日本側主催の式典が行われました。アウステン山という激戦があった場所に

日本政府が建立した慰霊碑があります。そこで慰霊の会が行われたのですが・・

アメリカ側に比べ、規模は小さく現地の大使館の方がメインで、あとは我々・・。


米国関係者が軍人を含め20人の参加がありました。

が、日本の自衛隊の参加人数はなんと1名・・。

たった1名の参加なのです。

恥ずかしかった・・。日本の主催の式典なのに、日本の参加はほとんどないのです。

これが戦勝国と敗戦国の違いなのだろうか・・。


日本の自衛隊は慰霊式典に参加したくとも、海外の慰霊式典に参加する

権限すら持っていないのである。

外務省の許可がいるとのことで、実は今回特別な初参加らしい。

日本は戦争に負けてから、軍隊は解散、軍事に関することは

ある意味タブーになった。あまりあの大きな戦争があった内容も

知らないし、何があったのか考える機会もない・・。

しかしガダルカナルは米国兵よりも、たくさんの日本兵が亡くなった場所である。

(3万人投入して2万人亡くなった・・)

なのに日本の自衛隊の参加より米国軍人の参加者の方が圧倒的に多いのである。

その自衛隊員の方も悔しかったとおもう。


慰霊の会は自衛隊の隊員ももっと参加をするべきだと強く感じました。

実際参加したい方も多くいらっしゃると思います。

そしてもっと日本の関係者も目を向けるようにするべきである。

まだ75年前のことなのです・・。


しかし、一つフォローを入れると

たくさんの米国軍人オーストラリア軍人が参加し、それぞれの国家の時は敬礼していましたが

敬礼した形は一番自衛隊の隊員の方が綺麗でした。

本当に会場の軍人さんの中で最も美しかったです。

「ホッ」となんとなく少し救われた気もしました・・。


ちなみに一番だらしなかったのが、オーストラリア空軍・・・  (-_-;) (>_<)

 

 

・・・・次回へ続く