年末特別番外編 ガダルカナル撤退戦 ガダルカナル記7

 

ちょうど75年前・・

1942年12月31日、大本営はガダルカナルから撤退することを決定する。

翌、2月1日から2月7日にかけて、撤退作戦が行われた


「日本軍はガダルカナル島から撤退した」


ガダルカナル戦のことは夏の時期になるとテレビなどで放映されることがあるが


戦いは日本軍が無謀な作戦仕掛けて惨敗し、撤退した。


との内容しか流れない。闘いの結果は一言、番組の終わりに


「ガダルカナルから撤退した」と流れるだけである。


「ガダルカナル島から撤退した」


「撤退した・・?」

「撤退しただと・・?」

疑問がある

あんな南太平洋の小さな島から、制海権制空権アメリカ軍に奪われ、毎日猛烈な爆撃受

けているのに

「どうやって撤退したんだ??」

日本では誰も言わないし、報道もされない、

私もガ島に行って初めて知ったことだったのだが、

ガダルカナル島の撤退作戦は

太平洋戦史に色濃く残る「奇跡の撤退作戦」だったのである。

全軍撤退の命令が出るが、電信ではアメリカ軍に察知される恐れがあるから

撤退命令は人づてに伝えられた。


これも日本軍の失敗の一つとして報道されているが、撤退戦ほど難しいものはない

陣形崩して撤退するのだ。全滅してもおかしくない。

人づてだったため、命令が出てから全部隊に行き届くまで2週間かかった。


しかし前線で孤立している部隊もある。命令が行き届かない隊もあったという。


「地獄の一歩手前をうろうろしていた・・」

戦っていた兵士の言葉である。

日本軍は飢餓と武器の不足、兵士の栄養失調、マラリア

アメリカ軍の猛烈な空爆に晒されていた。徹底抗戦を続ける日本軍に対し

アメリカ軍はとうとう日本軍の壕の中にガソリン流し込んで火をつけた。

何てことしやがる

日本軍38師団

愛知と岐阜の精鋭部隊

228連隊の「稲垣部隊」は前線で孤立し、アメリカ軍に包囲されていた。

もう兵力の8割が亡くなっている。


撤退はもうできない・・


若い兵士だった榊原義一さんは

隊長と最後に話をしている


壕に稲垣隊長がやって来た。


ハハハ・・苦労するな・・

まあ座れよ・・

おまえにも心配かけたけどな。


今夜最期の夜襲をかける


お前比較的元気だし・・

お前何とかここから脱出して

後方に稲垣部隊の最期を伝えてくれ・・。


これは俺の最期の命令だからな・・。

『握手してもらった・・』


「グッ・・」

榊原さんは涙を流した

70年以上たっても涙の量は変わらない



稲垣部隊が突入攻撃を掛けようとしたまさにそのとき

アメリカ軍の猛烈な爆撃と射撃が始まった

榊原さんは脱出を試みるが

悲鳴が右やら左から聞こえ

弾幕の中

爆弾の破片が頭に当たり

榊原さんは気を失った。


気づいたらアメリカ軍の捕虜になっていた。


榊原さんはまだ御存命されています。

私もお会いしてお話を伺いたいという気持ちはありますが、

75年経っても

生きて帰った来たため

自分を責めている・・

合わせる顔がない・・ご遺族には会いたくない。

とおっしゃっている。


・・・・・・・・・・・

日本海軍は敵に制されているソロモン海を

駆逐艦の砲を外し、できるだけ人を詰め込めるようにして

隠密裏にガダルカナル島の撤退地点

タサファロングへ向かった

途中で攻撃されれば終わりである。

真っ暗闇をピンポイントで進むのだ

日本海軍の操艦技術は世界のトップだったと思う。


撤退命令が出て各部隊、撤退地点のタサファロングまで

走って移動する。

各部隊からタサファロングまで40km程ある。


飢餓とマラリア、栄養失調の兵士が夜間に

走って撤退、40km走るのである。


とんでもない、ことだ。

全員餓死寸前でフラフラである。

撤退する道、もう動けなくなった兵士が大勢いた。

「あと少し進め!」


「もう足が動きません」

「迷惑かけません、置いていってください」

日本軍は絶対に投降することは許されない

「自決」しか道はない。


全員連れて帰りたかった

もうそれしかないことは・・わかっていた。

撤退の道には

一歩も動けなくなっている者

途中で死んでいる者

倒れて動けなくなっている者

日本の方に手を合わせ絶命している者


大勢いた・・。


ガダルカナル戦のドキュメンタリーで

「仲間が死に自分たちももうすぐ死ぬのだから、遺骨を持っていく兵士など

誰もいなかった・・。」との話があった


実際にあの状況で遺骨など持って走れる兵士などいない

しかし228連隊誌の中では

それでも仲間の遺骨を集めて持って帰ろうとする兵士もいた


しかし「その兵士がどうなったのかわからない・・」


衛生兵だった伊藤博之さんは

撤退戦を経験した一人。

強い兵だった。

上官にぶん殴られても蹴られても

なんともなかった。ガダルカナルの激戦の中

薬品も包帯もない、亡くなる人を見送ることしかできなかった。

撤退時

ガダルカナルでずっと一緒に戦った弟分だった戦友

がいた。フラフラだったがなんとか一緒に撤退した・・

夜通し何日も歩き、走り・・。鼓舞し、肩を貸し、背負い


海岸が見えてきた・・もうすぐ海岸だったが、

着く直前

道に倒れ、息を引き取った。


もう少しだったのに・・・・


もう少しだったのに・・


もう少しだったのに・


一緒に日本に帰ることはできなかった。


戦後、その兵士の母親から、息子の最期を訊かれた


「あいつは敵から俺たちを守り、アメリカ軍と正々堂々と戦い

玉砕だった」と伝えた。


「野垂れ死にしたなんて言えるかっ・・。」

それは言えん・・。

「そんなこと言えるか・・。」


そこまで来た奴を連れて帰れなかった

お母っさんもその嘘の話を聞いて

「ありがとう、ありがとう、」と言ってがした・・。


「そんなこと言えるかっ・・。」


伊藤さんの涙も当時と変わらない。


ガダルカナルにホワイトリバー(勇川)

という川がある


撤退の最中、もう動けなくなった兵士は

アメリカ軍を食い止めるためにそこに残って

戦った。

命を賭して撤退する兵士を守った兵もいた。


タサファロングの岬は船は付けられない

駆逐艦から大発(大きなボート)を浜辺に出している。


浜辺についたものは大発に乗り込んだ。

夜間に素早く隠密裏に行動しなければならない。

海軍の将兵も必死に大発へ兵を乗せた

大発が停泊中の駆逐艦へ着くと

網がかかっておりたくさんの兵は


大発から駆逐艦への乗艦は網をかけそこを上らなくてはならない。

しかしもう上がられないのである


上がれず、落ちてスクリューに巻き込まれて死んだ者もいた。

海の上は真っ赤である


上がって船に乗り込むと安心して、亡くなった兵士もいた。

タサファロングへ最後に向かった大発は残りの兵士を乗せた。


海軍の兵士が、大きな声か、敵から悟られないため小声だったかはわからない

「誰か残っている者はいないかーっ?」

「誰か残っている者はいないかーっ?」

「誰か残っている者はいないかーっ?」

何も返事がなかったので

大発を出した

出発すると

「待ってくれー・・」と声が聞こえた。

隠れていても、もう出る力がなかったのかもしれない


その海軍の兵士は

その兵がどうなったのかそれはわからない・・。


と言っていたそうだ。


2月7日半年間に及ぶガダルカナル島の攻防戦は日本軍の撤退によって

幕を閉じた。


3万人のうち2万人が戦死もしくは病死、餓死した。

戦争終盤太平洋の島々の日本軍はことごとく全滅した。

本当に尊い命がたくさん亡くなった。

軽々しく書いてはいけないと思いますが

ガダルカナルでは1万人が撤退した。

この状況で瀕死になりながらも1万人の人は撤退した。

制海権制空権握られて、陸では兵士が圧倒的な物量のアメリカ軍と戦っていたのです。

全滅してもおかしくなかったのです。

命をつないだ兵士を乗せた艦兵士のプレッシャーは

すごかったと想像できる。

米軍に悟られたら一巻の終わりである。

せっかく命を削って命を繋いだ兵士を殺してしまう。

操艦技術だけで、敵中から脱出したのである。

それが奇跡の撤退と言われる所以かもしれません。


私は戦争体験しておりませんおで

知ったかぶりになりますが

戦争は人に惨劇をもたらします

国の犠牲になって悲惨な思いだけをした犠牲者とテレビではいつも流れます

確かに本当にその通りです。

しかしそれだけではないと思います。

なんと言ってよいかわかりませんが、それだけではないと思います。

言葉にするのは難しいですが

それだけで片づけてはいけない・・・と思っています。


生まれてくる時代で、人生も違います。


考えても仕方ないですが

そう思ってしまいます。

今の生活を感謝しなければなりませんね。


慰霊の旅ではタサファロングでも慰霊をしました。


無念の思いを少しでも、慰めようと、ツアーのガイド役のお坊さんが

お経を一生懸命上げていました。

そのお坊さんの目にも涙が浮かんでおりました。

相場もやっていないので、本日は年末の番外編を出しました。

長い文章をお読みいただき、ありがとうございます。


ガダルカナル記も次回で最終回の予定です。


昨日が納会で明日は大晦日

みなさん、一年のしめくくりです。今年の私は仕事以外にも

戦没者の供養でガダルカナルに行ったりと

今年は私の人生の中でも

最も印象に残る年でした。

 

 

2017年もうすぐ暮れます。相場の方も大発会からどうなるか

2018年はどのような相場になるのか、、


いろいろありました本年のことをすっきりとして

新年を迎えましょう。

良いお年を!