ガダルカナル記8最終回

 

ガダルカナルから日本へ帰って来た。

 元々ガダルカナルへいった理由は

この夏、祖父母の家が取り壊されることになり

ひょんなことから

この夏奇跡的に最期を知ることができた

大叔父の供養でした。

 

名古屋に戻ってきたときには、祖父母の家は取り壊されていたので

これまであった仏壇へは報告できなかった・・。

その代わり

唯一大叔父に会ったことがある一番上の伯母(85歳)に

ガダルカナルから持ってきた大叔父の戦死した

場所の砂をお墓に入れてもらった・・。

 

親戚皆、「良かった・・」と話をしていたが、話の中で

突然

「亡くなっているとは思うけど、もしかしたら

大叔母さんがまだ生きているかもしれない・・」との話になった

 

「ビックリした。」

私の祖父は明治生まれで、25年前に亡くなっているが

祖父の一番下の妹・・妹さんがまだ生きているかもしれない・・とのこと

大叔父の下の妹さんである。

だいぶ前は行きかいがあったが

音信は普通で、お嫁さんがあまり連絡を取りたがらない方で、

ずいぶん前から疎遠だとのこと

 

誰も連絡取れない・・それもだいぶ前

電話も通じないから、どうしようもない・・。

ただもし生きているなら報告したい。

ガダルカナルのこと

「生きていたら世の中に唯一、報告出来る人がいる」

心が熱くなった

 

「生きていて欲しい」

なんとか報告したい・・

たった一人、生き残っているかもしれない肉親である・・

方法は? 「探すしかない」

なんだか居ても立っても居られれず

次の日、母と一緒に記憶だけを頼りに探し、歩いた

 

母「私昔、その息子さんと電車であったことあるのよ」

「おー何年前?」

「50年前!」

「おいっ!半世紀前か・・!」

 

昔名古屋は「今池」から「八事」までちんちん電車が走っていて

それ沿いにお家があったとのこと

記憶だけを頼りに歩いた

名字は「伊藤さん」そこらへんに行くが伊藤さんだらけの番地だった

 

50年前とは様変わり

当時とは全く違う

一軒づつ探した。

どこにもいない・・

最期の一軒・・

ピンポーンした

そしたらなんと、

その息子さんがいたのである。

 

「おばさん生きています??」


・・・。 

「はい、生きています。」

今は近くの老人ホームにおります。

 

「涙が出た・・」

妹さんが生きていた!

報告出来る人がたった一人生きていた!

 

足が悪くなったが、96歳だがまだしっかりされていて

元気だとのこと・・

次の日、伯母たちとその老人ホームへガダルカナルの報告に行った

 お会いした。

ただ25年前に亡くなった、じいちゃんに顔が似てて

その時点で少々ウルウル来てしまった。

ガダルカナルで戦死された場所と供養したことを話し

残っていた少しの砂を渡した

 

妹さんも泣いて「ありがとう・・」と

言ってくれた・・。

「私は生きててくれてありがとう」と思った

 

私はもちろん大叔父とはお会いしたことがない・・

去年の春頃から

半年間、大叔父の最期を探すため、いろいろ調べたり

考えたり、お話を聞きに行ったり

最期の一部に触れることができたが、、

どんな人かもわからない・・

どんな人だったのか・・ずっと気になっていた

もう知っている人は目の前にいる妹さんしかいない・・

 

妹さんに「どんな人だったの?」と聞いてみた

「私はおてんばだったから、木登りしてお兄ちゃんに叱られた・・」


それが唯一人となりがわかる、初めて聞いたエピソードだった

お母さんと妹さんと3人仲良かった。家族で仲良く暮らしていたとのこと・・

 

大叔母ももう96歳・・

祖父の家が取り壊される前、

奇跡的に繋がった

もう本当に、本当に最後の細い細い糸だったのである。


・・・・・・

(すみません・・少々長くなりますが最終回ですのでもう少しお付き合いください、
 少々お伝えしたいことがあります。


 全て落ち着き、ひと段落し、、

こんなことがあったので

私が大叔父の遺品を私が預かっておりましたので

年末、大叔父の遺品とガダルカナルの写真など整理をしていました。

 

遺品はほぼ何も残ってはいません。写真も一枚もない・・

古い籠の中に軍からの手紙と、勲章だけであったが、、

その中に古いハガキのようなものが一枚あった・・。

「・・・保存会・・・善光寺」

 

というもうボロボロで色も変わってしまっているような

小さなハガキだったので

なんとも気に留めなかったが、、、


そういえば、数年前、善光寺御開帳のニュースを見た気がした・・。

行ったこともないし、なんとなく一度行ってみるか・・と思った

 

ちょうど長野方面に行く用事があったので、

行くことにした。

 

その日の朝、普通に家を出ようとしたが、なんだか気になった・・

そのまま行ってはいけない気がして

なかなか部屋を出れず、なんとなくハガキのことが気になったので、

持っていくことにした。


名古屋から3時間、初めて善光寺に行った・・。

善光寺のお堂の中のお坊様になんとなく

「このハガキは何ですか?」と聞いてみた

「あちらの忠霊殿に行ってください」

 

善光寺の横手のウラに忠霊殿という塔がある

そこで、戦没者の供養をしていたのである。

 

ハガキを係りの人にみせると

「ご供養なさいますか??」

 

「????」

「記帳してください」

「??」

 

ハガキの上に番号が書いてあり、それを見て

「ご位牌がありますよ。少々お待ちください」

「えっ・・・?」

 

・・・・ しばらくして

お坊様が位牌を持ってきてくださり、お経が始まった・・


 なんと善光寺にご位牌があった・・、。

なんでここに位牌がある・・

ビックリした。

 

親戚中誰も知らなかった。

誰も本当に知らなかった

位牌があるなど夢にも思わなかった

 おそらくひいじいちゃんが

戦時中に送っていたのである

 

「ここにいる、知ってほしかった」のだと

そんな気持ちになった・・。


お経を読まれた後お坊様が、位牌を持ってきてくださった。

ご位牌の中にたまに骨や何かが入っていることがあると、説明してくれた

 

位牌を開けてもらった

ご位牌の中に小さな封筒があり、そこの右上小さく「寫眞」と書かれていた

封筒の中に指を入れた。何か入っている・・

もう75年前の封筒である、生が抜けており

破けてしまったが、、

 

小さな写真が出てきた・・。

 

出征前に軍服を着て撮った大叔父の写真だった。

・・・・・・ 

 

写真があった・・。

 

写真が出てきた


 この世に一枚写真が残っていた・・。

 

もうこの一枚しかこの世にない・・

 

75年前の古い写真だったが・・

 

初めてお会いできた

凛々しいハンサムな方だった

 

私は39歳だが心の中で思いっきり泣いてしまった


写真を抱きしめたくなった


21歳で戦死された

やりたいこと、想う人、やり残したこと、たくさんあったと思う。

 

どうしようか迷ったが、持って帰ることにした

春からここまで、色々なことを思いだしながら

その晩、写真と一緒に酒を飲んだ・・。


まったく知らなかったが

実は善光寺には、戦死者を供養する忠霊殿があり、ご遺族がなにがしかのものを

納めている

 

全国から戦時中などは慰霊のシステムがあったのだろう

戦死された方のご家族が、軍や遺族会などから

慰霊をするために善光寺に何かを送っていることがあるとのこと

あまり知られていないが、位牌や骨があることもある。


ご遺族に戦没者がいる方は一度調べてみていただきたいのです。

長野の善光寺に何かあるかもしれません。

 

これも最近ですが、この前の5月19日名古屋1DAYのあと

一人でふらっと入った焼き鳥屋で

店を一人でやっている80歳ぐらいのおばあちゃんがいた。

初めて入った店だったが、、店の客は一人で私しかいなかったので、話をしていた

なぜか戦時中と慰霊の話になり、そのおばあちゃんかなり霊感があるらしく

いろいろ話をしてくれたので

なんとなく、ガダルカナルの話もしてみた

 

正直供養をしたつもりだが、これが良かったのか、

特に意味がないのか、または迷惑だったのかもしれない


 それが、良かったのか、どうなのか、よくわからない・・。

 亡くなった方の供養はそこが辛いところである。

しかしそのおばあちゃんが言っていた

 

「霊魂はどこでも行けるように思うが、それは違う

霊は一人では帰ってこれない

あんた迎えに行ってあげたのよ」

 

と・・。「だからとても喜んでる」

 
「それにその方、あんたに似てるね・・。」


私はハンサムではないが、やはり似ている・・。やっぱり似ている・・。

 
少し泣けた。

おばあちゃんは、この話をたくさんの人にしてあげてほしいと言っていた

ご遺族に戦没者がいる方は戦死されたところへ行って、

手を合わせてあげると

一緒に日本に帰ってこれるとのこと・・

 

カブックスは株式投資の学校ですが

もうたくさんの生徒さんが在籍している学校になっています。

なので最後にこのお話を伝えなければと、久しぶりにガダルカナル記を書きました。

カブックスは株式投資の学校ですので

相場からお金を頂戴したら、色々な使い道があります。

私が偉そうに言う立場にもありませんが

そんなお金の使い方もあるのだと、頭の片隅に留めておいていただければ・・

なんて思ったりもします。


 日本兵は240万人、中国東南アジア、中国北部とロシア、太平洋の島々で亡くなっています。

遺骨もたくさんまだ残っています。

今を生きている我々はあまり意識していませんが、70年ほど前に大きな戦争があり

たくさんの方が亡くなったのです。

 

まだ70年ほど前のことなのです。ガダルカナルの帰還兵は

まだ御存命されている方もいらっしゃいます。


 私の個人的な意見で、偉そうに言える立場でもないのですが。。

生きている私たちに少しでも何かできることがあれば、

小さな力でいいので

してあげることが必要でなはいかと思います。


ガダルカナル記は最終回です。配信は去年の9月ごろからしていましたが、

しばらくブランクがあり、本日書きましたが、

お読みいただいた方、コメントまでいただいた方、本当にありがとうございました。

※これまでのガダルカナル記はHPのブログのところに載っているものもあります。
ご興味のある方は是非ご覧ください。
「カブックス  ガダルカナル」と検索すると出てくると思います。

観れない方は
コメントに載せていただければ、私送りますので・・。
 
夏の季節ですので、番外編を書きました。

皆さんのトレードの気分転換になれていたら幸甚です。