番外編 ガダルカナル記5

「日本は弱いのに無謀な戦争に突入した」

「アメリカとの戦っても一度も勝つことなく負けた」

「野球のスコアでいくと10-0で負けた」

太平洋戦線で日本軍は惨敗一度も勝ったことがない・・

というような感じで、私たちは学校などで習ってきたように思う・・。

日本軍が手も足も出ず負けた・・と言う話はよく聞くが

勝った話など聞いたことがない。

戦後のタブーの問題もあるが

しかし

実際にあの戦いは「10-6」ぐらいのスコアだ。

しかも劣勢の中スタジアムの観客を沸かせるような

大ファインプレーも連発している


考えてみたら、世界史史上

アメリカとまともな艦隊決戦やったのは日本だけだ。

ガダルカナル島周辺で行われた、ソロモン沖海戦やその諸島周辺で行われた海戦は

日本海軍VSアメリカ海軍

日本海軍の大負け・・ではない。

調べてみると

ほぼ引き分けといってよい。


第一次ソロモン沖海戦は、ガダルカナル周辺海域を支配する

ソロモン沖のアメリカ海軍に対し

日本海軍は夜襲を決行・・。

日本海軍は燃料や戦艦等の違いを補うため

徹底的に鍛えた、猛訓練で練度を上げた。

夜襲の砲の標準は的確だった。

第一次ソロモン沖海戦は日本海軍の勝利


第二次ソロモン沖海戦はアメリカ海軍の勝利

第三次ソロモン沖海戦は世界史史上戦史に残る海戦

戦艦の近距離での乱戦
航空部隊、潜水艦など
の精鋭実戦部隊がショートレンジで大激戦をした。


第3次ソロモン沖海戦はお互いの戦力を消耗する戦いになったが


しかし元の国力が違うため、同じ損害でも

日本の方が圧倒的に後の戦力に響くのだ


ガダルカナル島を防衛したアメリカ軍

海戦で奪還できなかった日本海軍

海域はアメリカに支配された・・。


これより日本海軍のガダルカナル島への輸送が困難を極める。

鼠輸送というすぐ行って、島へ到着後一瞬で帰ってこなければいけない・・。

人は運べても武器や食料は運べない・・

ことごとく、日本の輸送船はアメリカ海軍に輸送船沈められていく


ガダルカナル島に「人」だけ取り残され、ガダルカナル島はガ島(餓島)「飢餓の島」と

変わることになる

ガダルカナルへ行く前の私の印象では

海軍は補給を諦め

ガダルカナルにいた日本兵は

完全に見捨てられた・・。

という印象であったが、それは違っていた

取り残された陸軍へ

海軍は何とか、餓死や栄養失調にあえぐ

陸軍の兵士のために敵の支配下の中、輸送を行った。

「同じ軍が3万人が飢えている」

ドラム缶に食料や物資を入れ会場に流れ着くように

輸送を行うが、全て機関銃で砲撃され、

缶に穴が開き、海中へ沈んでいく・・。

敵の砲撃が日々、激しくなる・・。

輸送船はどんどん沈められる・・。

ガダルカナル島へ艦を出せない・・。

しかしその中でも飢餓に瀕する

ガダルカナル島へ食料を積み込み

突入する艦も多々あった。


その一例が喜怒川丸である。
11月14日日本海軍は大船団を組み

ガダルカナル島へ輸送をした、しかしアメリカ海軍と交戦になり

戦艦等が沈められていった・・。

しかし輸送を諦めなかった。

鬼怒川丸・宏川丸・山浦丸・山月丸の4隻は、何がなんでもたどり着こうとした。


アメリカ軍の砲撃の中、海岸に乗り上げることを決定

実際に海岸に突っ込んだ!

輸送船が海岸に乗り上げたら、もう後戻りはできない・・。

乗組員全員の命と引き換えに、飢餓に苦しむガダルカナル島へ、物資・人員を運んだのだ。

喜怒川丸をはじめとする4隻は猛烈な砲撃を浴び、炎上。

多くの乗組員の命と引き換えに、ガダルカナル島で輸送作戦を決行したのである。


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ガダルカナル島への慰霊のツアーで、同じ遺族の女性の方がいらっしゃいました。

伯父がガ島の周辺の海で亡くなったとのことでした。

写真を見せてもらったが、まだ若くきれいな少年の印象で

当時19歳とのことでした。

海岸から海に向かって慰霊をした・・。


私の大叔父の場合は奇跡的に戦死された場所がわかりましたが、

海で亡くなった兵士は場所は分からない、大海原へ向かって

慰霊するしかないのです。

他ガダルカナル島周辺の島でも激戦が繰り返されたが

現在、上陸できるのはガダルカナル島だけである。

他の島で亡くなった遺族たちもガダルカナルからみる

遠くの島へ手を合わすしかない。

あの海でたくさんの方が亡くなったが・・。


なんとも言えない気持ちになりました。

言葉ではなかなか表現できないですね・・。


なんと言ったらいいんだろう・・。


じつは喜怒川丸今もガダルカナル島に残っている。

75年前に海岸へ突っ込んだ。その状態で残されている。


しかし75年も経っている・・。


もうその一部しか、その姿を見ることはできないが

未だにガダルカナル島の海岸にに喜怒川丸はその姿をみせている。

そこには亡くなった人たちのいろいろな想いが

今も残っているように感じました。